スーパー〝ブログ〟フライデー

NSC大阪42期、スーパーフライデーです。毎週金曜日の夜に更新。

平安時代の美術の特質について。

F21025 竹内健人

 平安時代の美術は、その時代背景に大きく影響されています。摂関政治で知られる藤原氏が栄えた平安時代。とても平和な時代で、貴族階級は余暇を持ち、短歌を詠み、楽器の演奏、お香の調香、仏教経典の模写や、煌びやかな仏教儀式といった宗教活動に資金を使い、美を追求していきました。
 平安時代の前期の主要な出来事の一つに、天台宗真言宗という仏教の導入がありました。そして、唐から空海が持ち帰った「密教美術」の「曼荼羅」や「密教の仏たち」などの、新しい図像を伝えました。   
 平安時代前期に広がった密教美術とは、仏教の一派である密教の表現としての絵画、彫刻、そして空海以後の密教の展開に伴って生み出された造形美術のことをさします。密教美術の最大の特徴は、曼荼羅を意識して作られたとこにあります。曼荼羅とは、仏様の世界や悟りの境地が描かれた絵のことです。この曼荼羅図に展開されているイメージが基本になって、それを空間に配置したものが密教建築であり、曼荼羅図に描かれた様々な像が立体化されたものが貞観彫刻と呼ばれる彫刻群です。
 密教画は、手本とされた唐の図像や絵画の特徴を強く反映しています。代表的な作品には「真言七祖像」のうち「竜猛・竜智像」、濃厚な色彩とエキゾチックな尊像表現で有名な「伝真言曼荼羅」や、「高雄曼荼羅」、「十二天画像」をあげることができます。
 前期のものが厳格で威厳ある特質を持っていたのにたいして、次第に親しみやすい尊像表現がとられ、柔らかな描線や明るく温和な色彩が用いられるようになっていきます。またこの時期に入ると、密教絵画だけでなく、貴族や宮廷の信仰を背景に、阿弥陀仏を中心とした浄土教絵画や「法華経」信仰にちなむ法華経絵も措かれるようになります。「十六羅漢図」や「天台高僧像」、「五大尊像」などがあります。
 平安仏画は、11世紀に温か味のある柔らかい色彩表現を特徴としていましたが、11世紀末から12世紀初頭になると彩色による荘厳だけでなく、金箔を細かく切って文様を作る「截金」の技法が好んで用いられるようになりました。こうして優美な貴族文化の極致ともいえる、装飾的で耽美的な傾向の強い作品が生み出されます。しかし12世紀も半ば頃には、そのような傾向は、早くも変化を見せ始め、肥痩のはっきりとした動きのある描線と落ち着いた色彩を特徴とするようになっていきます。このように、この平安時代後期は、我が国の絵画が新たに中国絵画の影響を受け始めるという、大きな変革が起こった、絵画史上重要な時代とされています。平安時代後期の遺品は前期、中期に比べるとその数ははるかに多く内容的にも多彩になっています。代表的な作品、奈良法華寺阿弥陀三尊像」のほか肥痩のない線描と、優美な色彩華麗な截金文様で有名な京都東寺に伝わった「五大尊・十二天像」や神護寺の「釈迦如来像」などがあります。
 また、菅原道真により遣唐使が廃止される9世紀後半頃からは、中国的な主観や美意識を用いた「唐絵」から、日本的な自然や風物を題材にした「大和絵」が流行していきました。
唐絵は、中国の物語のテーマ、獰猛で神話的な生き物、そしてごつごつした岩山が描かれています。それに対して大和絵は、低めの丘やなだらかな渓谷といったものや基本的には日本の風景や花鳥といったものを描いていて平安時代を象徴するかのような絵です。そして、柔らかな景観ですが、色使いが派手ではないということ。また、日本らしいおおらかな表現で、立体感がなく、開放感のある構図が特徴です。「山水屏風」などが有名です。
 11世紀、「後白河天皇」が政治の実権を握った院政時代に、大寺院向けの大きな絵が描かれました。これが「絵巻」の始まりです。絵巻とは、詞書と絵によって、日本で流布した物語や説話、伝記などを巻物に綴った物です。
 『源氏物語絵巻』『鳥獣人物戯画』『伴大納言絵詞』『信貴山縁起』という作品は有名でまとめて「四大絵巻」と呼ぶ事もあります。中でも鳥獣人物戯画は一番有名で、甲・乙・丙・丁の4巻からなる絵巻のことです。甲巻には擬人化された動物が描かれ、乙巻には実在する動物と架空の動物が描かれ、丙巻は前半の人物と後半の動物とに分かれて描かれ、丁巻は人物のみで構成されており、日本で一番古い漫画と言われています。
 以上が平安時代の美術の特質です。

 

 

 

 

 

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日本美術史のレポート課題を間違えてスーパーブログフライデーに送っちゃった!😂

 

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